朝日軍道、痕跡調査登山記録


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  約四百年前、戦国の世に朝日連峰に開削された軍道が有ることは知っていたが、踏破記録は少なく、
山麓に住む者として草岡から鱒渕まで朝日軍道の全容を知ろうと痕跡調査登山を実行した。

 
軍道概略経路

北方より
     ◎鱒渕村
         ▲岩越峰(八久和峠の峰)
        ●早坂(猿倉山付近)
       ▲兜ノ明神(兜岩)
       ▲高安ノ明神(高安山)
       ▲桂木天狗松(葛城山)
       ●六十三曲り坂(芝倉山付近)
       ▲ハチ熊ケ嶽(茶畑山)
       ▲冷水ケ峯(戸立山)
       ▲三角石(三角峰)
       ▲庄内境ニ大峯(以東岳)
       ●白岩原
         ●鬼犬ケ原
         ●駕休(三方境付近)
          ●幕張り松(龍門付近)
         ▲鎧立坂(西朝日岳)
          ●連理ノ杖(金玉水付近)
          ▲朝日嶽(大朝日岳)
          ▲人揃ノ峯(平岩山)
               ●小鳥狩坂(前御影森山付近)
                   ●六日菖蒲(中沢峰鞍部水場)
                       ●其次大守御小屋カ平(焼野平)
                         ●木立草原(葉山神社付近)
                          ●藤原峠(オケサ堀)
                             ●向こ荷物改メ平(大石大明神付近)
                              ●種ケ島鉄砲筒払イ森(縄文の森)
                               ◎草岡村
  *地名は旧大鳥村外創村旧記より
   ( )内の現在地名は想像


踏破距離とメンバー

   踏破距離
         長井市草岡〜朝日村鱒渕   約65Km

   メンバー:佐藤俊二(寒河江市)、片倉忠幸(西川町)、佐藤仁三(仙台市)、芦野孝志(東根市)、
           山田栄二(西川町)
    サポート:  布施美喜子(西川町)、片倉清美(西川町)、マウンテンゴリラ(天童市)



コースと状況

 *中里大石大明神〜龍門山間、平成16年7月3日、4日
 *龍門山〜三角峰間、平成16年10月7日〜9日
 *三角峰〜芝倉山、 平成16年11月、平成20年5月下旬
 *高安山〜猿倉山、平成21年4月中旬
 *鱒渕、平成21年11月上旬

   地 点              状 況
中里大石大明神  オケサ堀までは、幅の広いつづら折りの 登山道。
 葉山神社までは登りのゆるやかな二次林帯の道。  
オケサ堀
葉山神社
八形峰  ゆるやかな尾根の下りが延々と続く、途中斜度のわり
 にはつづら折の道あり。 水場はブナの古木に囲ま
 れた沢筋にあり、登山口からここまで樹林の中。
焼野平
中沢峰鞍部水場
中沢峰  御影森までは、ここ数年手入れの痕跡がなく、途中
 ほふく前進を強いられ廃道に近い、特に中沢峰から
 先の鞍部へは崩れで道が荒廃している。
 御影森から県道に別れ国道に入。
前御影森山
御影森山
大沢峰水場(ビバーク)
大沢峰水場  一般縦走路は手入れも良く南側から見る大朝日は
 見慣れたものとは別の山に感じる。
平岩山
大朝日岳
西朝日岳  中岳巻き道先に雪による崩落あり。
龍門山(日暮沢へ下山)
龍門山(日暮沢より登山)  荷が重く狐穴小屋泊の予定が龍門小屋泊となる。
龍門小屋(宿泊)
龍門小屋  狐穴小屋前後のルートを木柵と石敷きが
 ありがっかりするが、 高山植物が多い区間。。
寒江山
中先峰
以東岳
オツボ峰  三角峰水場の先は登山道をはなれ低木のヤブと
 なる。
三角峰(ビバーク)
三角峰(大鳥へ下山)  核心の戸立山方面へは、台風直撃のため、次回
 とし大鳥へ下山。
戸立山  登山道は無く積雪時以東岳から大鳥へのルートとして利用されるが、
 雪が消えると歩行困難となり、5月下旬かなりハードな行動になったが、
 尾根には部分的に残雪があり距離を稼げるがそれぞれの山頂は
 ヤブを掻き分けることとなった。
 
茶畑山
芝倉山
葛城山
高安山  南東面は灯明台にかけ急激な崖が続き、また山頂には
 平坦部がなくヤブでナイフエッジ状に切り立っている、
 
兜岩  西面が絶壁になっており、しがみついて通るか、危険なトララバースか、
 大きく迂回するかを選ぶことになる。
 また猿倉山よりへ300m位に電力の雨量計ロボットがあり猿倉沢からの
 道がたがあると聞いている。
猿倉山  山頂は平坦丘陵になっており、辺りに古いブナの立ち枯れが目立つ。
鱒渕  猿倉山から岩魚沢、鱒淵沢沿いを経て鱒淵部落に着く。




軍道の考察


 中里大石大明神よりオケサ堀までは幅2mのつづら折の登山道が続き、途中 明らかにタガネで割った痕跡のある岩などがあり、
軍道をそのまま登山道とし 利用したものと推測できる。


 オケサ堀から葉山神社の登山道は平坦で軍道としても十分だが神社西部の 湿原周りを経由したことも考えられる。


 神社西部湿原から中沢峰手前鞍部水場までは、ゆるい尾根道で幅広のつづら 折りの道がつづきこれもまた軍道を登山道
として利用したものと推測する、 しかも水場のそばにはブナの古木に囲まれた明らかに人の手が入った広場が あり、かなりの
人馬が露営できるスペースがある。


 水場から中沢峰中腹まではつづら折りが有るが山頂までは急坂で前御影森山 鞍部あたりへは横道だったように想像する。


 鞍部から前御影森山かんは顕著なつづら折りがつづき登山道も大部分が軍道 を利用しているように思う。


 前御影森山から御影森山直下までは現在の道を通り、御影森山南西面に棚状 低木斜面が大沢峰につづく尾根まであり、
これが横道だったように想像する。


 大沢峰より以東岳間は西朝日岳南面と中先峰南面笹原に顕著なつづら折りが あり軍道痕跡として知られるとこだが、
現在の縦走路を左右していたものと考える。
   【 笹原斜面は軍道放棄後、開削路面が崩壊前に笹が繁栄し道形が残り、低草木斜面は雪解けの繰り返しによる土砂が
堆積しならされ、草木に覆われ痕跡不明となっている。 】



 以東岳、オツボ峰間に二間四方の御壺石発見、旧田沢組大鳥村外創村旧記に記載されている物と同じか!!。

御壺石、この下に人骨が眠っているのか。



 三角峰から先登山道がないので調査期が限定される、残雪期は歩きやすいが軍道痕跡が見えないため。


 茶畑山山頂西側に明らかに不自然な幅6尺を超える切り通し道と思える場所があり、軍道と考えられる。


 芝倉山から高安山へ急激な起伏も少なく、峰なりに日本海側を開削したものと想像する。

 高安山への方には御殿御小屋があったとされる平坦地があり木材も現地調達出来そうでうなずける。


 高安山南面は灯明台の尾根まで急峻な崖が続きまた山頂はヤブだがナイフエッジになっており
軍道は西側を迂回し再び尾根へ続いたと想像する。。


 兜岩は西面が絶壁になっており左右は深い沢になっており大きく迂回したのか想像できない。



 猿倉山は平坦な丘陵で鱒淵へは猿倉山から下りはじめ急だがそれをすぎると里山の状況となる。



猿倉山8合目から鱒淵部落までは杉の造林が多く、部落には軍道の事業完遂を祈願したとされる山神社がある。

猿倉中腹から見た鱒淵部落
資料で軍道ルートとされる岩魚沢
完遂祈願したとされる山神社


・鱒淵部落にある山神社でこれまでの無事故お礼申し上げ完結となる。



  足掛け6年当初の目的を達成し一区切りとする。


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